2009-12-31 : 00:30 : ueta-fukuda
# 2009年大晦日

十二月三十一日 街道を歩き居れば寒風強し。インバネスの袖拡がりて蝙蝠の如し。忽ち南伊豆行を思い立つ。「伊豆の踊子」の続編を書くにも、下田方面を見ておいた方がいい。ニ十分ばかりの間に、そそくさと準備して、一時過ぎの下田行定期乗合自動車に乗る。天城の山道を流星のように走る---馬車を下り下田に入るあたり、河口の岸に灯点々として些か情調あり。足の向くままに町を歩けば、寂しい野原へ出てしまう。驚いて町に引返し、でたらめに歩き廻る---流石、下田らしい立派な料理屋のある所から、今度は海辺へ出てしまう。思わざりき、大いなる月が波に洗われている。皎々たる十六夜の名月なり。この大晦日の夜、寒風の中に海の月を見ていては狂人だと思われそうなので、引返してまた町を歩く---川端康成「南伊豆行」(大正十五年、文藝時代)。
院長コメント: 平成21年(2009年)の大晦日。内外ともに政治経済面で不安定、来年のことを考えると暗くなってしまう1年でした。さて、来年のブログは、今まであたためてきた「私の名盤」を適宜披露。名盤と称されるものは、棚に飾っていては単なるCD/LP。自分で手間暇かけて聴き込んでこその名盤です。1年に同じ曲を3回聴いたとしても、わずか100曲程度。数十年の音楽体験があるとはいえ、自分自身の名盤リストを作るのは意外と困難な仕事。「私の名盤」と称するのは、集中して聴きたい名演奏。またBGMとしても聴ける捨て難い演奏をB級(BGMのB)名盤、として分類。所有しているLP/CDは現在かなりの数に上りますが、蒐集自体は意味がありませんので、自分のCDライブラリー整理を兼ねての作業。
2009-12-30 : 00:17 : ueta-fukuda

フルトヴェングラーが指揮する「第9」を聴くと、我々の身体に、何かが流れたものだ。それこそ、ベートーヴェンを捉えたと同じ創造の恍惚を我々にも体験させるものであった---フルトヴェングラーが絶賛した名ピアニスト/ケンプ(Wilhelm Kempff, 1895-1991年)の言葉です。
院長コメント: 年末恒例のベートーヴェン交響曲第9番「合唱」。今年は1951年7月のバイロイト音楽祭再開記念の「第9」演奏から1ヵ月後にザルツブルク祝祭劇場で演奏された、フルトヴェングラーによる“ザルツブルクの第9”に注目(ORFEO, 1951年8月31日録音)。バイロイトでの録音は、バンベルク響を中心とした寄せ集めオケという難点がありましたが、この演奏ではウィーン・フィルが大変魅力的で、特に第1楽章の重厚さと第3楽章の思い入れたっぷりの弦の美しさは特筆に値します。フルトヴェングラーは、1947年に楽壇に復帰して以降1954年までに11の違ったオーケストラを指揮して「第9」を33回演奏。うち、ウィーン・フィルとは12回、ベルリン・フィルとはその半分の6回。フルトヴェングラーによる「第9」演奏はウィーン・フィルと特別な結びつきがあったようです。ちなみに「第9」は、全てライヴ録音。モーツァルトの「レクイエム」同様、「第9」はライヴが似合うようです。
2009-12-29 : 00:03 : ueta-fukuda

カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である---巨匠フルトヴェングラーの賛辞です。幅広い活躍で世界的に知られた20世紀のチェロの大家カザルス(Pablo Casals, 1876-1973年)が12月29日スペイン/カタロニア地方に誕生。
院長コメント: 1961年11月13日、ケネディ大統領に招かれ、ホワイトハウスで披露した歴史的名盤があります。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番に始まり、カタロニア民謡「鳥の歌」(El Cant dels Ocells)でコンサートは終わります。カザルスがカタロニア民謡「鳥の歌」を演奏し始めたのは、第二次大戦終結の1945年以降。この曲には、故郷への思慕と、平和への願いがこめられ、以後カザルスの愛奏曲となりました。1971年(カザルス94歳時)、国連本部において「鳥の歌」を演奏する前のスピーチ---私の生まれ故郷の民謡を弾かせてもらいます。カタロニアの鳥は、碧い空に飛び上がるとピース(peace)、ピース(peace)といって鳴くのです。
2009-12-28 : 00:30 : ueta-fukuda
# 母はモデルで画家

近代のフランスの画家モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955年)が12月26日パリに誕生。10代でアルコール中毒になり、治療のため、医師に勧められて絵を描き始めたことはよく知られています。作品のほとんどはパリ近郊の風景画。平凡な題材の中から、詩情豊かな作品を輩出。特に、壁などの色に用いられた独特の白が印象的で、後に「白の時代」と称されました。
院長コメント: ユトリロの絵は好きな方ですが、18歳でユトリロを産んだモデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon, 1865-1938年)がより魅力的。特に、ルノワールの「ブージヴァルの舞踏会」、「都会のダンス」、ロートレックの「二日酔い」は、ヴァラドンがモデル。
2009-12-27 : 00:16 : ueta-fukuda

「リリー・マルレーン」(Lili Marleen)は、第二次大戦中に流行したドイツの歌謡曲。1915年、ロシア出征を前にしたドイツの詩人がベルリンの兵営の営門に歩哨に立った時に創作した詩集 に、1938年曲がつけられ、ララ・アンデルセン( Lale Andersen , 1905-72年)の歌でヒット。兵営の大門の前に街灯が立っている。そこで恋人と再会したいと熱い思いを歌ったラヴソング。
院長コメント: ハリウッド女優で歌手のマレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich、1901-92年)が12月27日ベルリンに誕生。「リリー・マルレーン」は、我が国ではディートリッヒの持ち歌として知られています。ディートリッヒは、1930年代からハリウッド映画に出演。独初のトーキー映画「嘆きの天使」(1930年)で我が国でも有名。セクシーで退廃的な美貌とその脚線美で国際的な名声を獲得。1939年には米国市民権を取得。第二次大戦中、ディートリヒは積極的に連合軍兵士を慰問し、この歌を歌いました。このために故国ドイツでは彼女は反逆者と見なされ、戦後も不人気。写真は女優で映画監督のレニ(Leni Riefenstahl, 1902-2003年)とディートリッヒの貴重なスナップ。当時の独映画界を代表した二人ですが、相性悪そう。それにしても、御両人とも長命でした。
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