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# アルプスの夕映え "Alpine Glow"
 

ピアノ小品「アルプスの夕映え」、「人形の夢と目覚め」などで知られるドイツのピアノ教師・作曲家エステン(Theodor Oesten, 1813-70年)が12月31日ベルリンに誕生。単純にまとめられたサロン小品を創り続け、聴衆に歓迎されました。

院長コメント: 世情不安定な2008年でした。2009年以降も厳しい日々が待っているようですが、アルプスの輝かしい初日の出を祈念して---皆様、良いお年を。

# ブラームスの田園交響曲
 

1877年12月30日、カール・リヒター指揮ウィーン・フィルによりブラームスの交響曲第2番が初演。1876年、20年余の歳月を経て第1交響曲が完成した翌年、わずか4か月で書き上げられた第2交響曲。その曲想の平明さと牧歌的雰囲気からブラームスの田園交響曲とも呼ばれています。ブラームスがこの曲を書いたのは、南墺アルプス山中の緑に囲まれたヴェルター湖畔の村ペルチャッハ。第2交響曲が初めてピアノで弾かれた時の讃辞---すべてが小波の立つ流れと、碧い空と、太陽の光と、涼しい緑の木陰です。ペルチャッハはどんなにか美しい処に違いありません(ガイリンガー著「ブラームス」)。

院長コメント: ブラームスの交響曲では第1番に続いて親しんだ曲です。この曲の魅力を初めて教えてくれたのが、若き日のケルテス指揮ウィーン・フィルによる瑞々しい叙情に溢れた演奏(英デッカ、1964年録音)。後年、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏には圧倒されました(英EMI, 1952年ライヴ録音)。また、その約10年後に録音されたカイルベルト指揮ベルリン・フィルによる演奏もフルトヴェングラー時代の残り香の中にドイツ的堅固な響きを誇っています(テルデック、1950年代末‐60年代初録音)。


# 男性機能不全 ED(Erectile Dysfunction)


ブリュッセル/ベルリン、2008年12月8日―欧州性機能学会/国際性機能学会合同学術会議からの報告---本研究は、ED(勃起不全)治療を希望する男性、または治療中の男性の実生活をより正しく把握するために施行。EDは加齢とともに見られる症状と誤解されがちですが、糖尿病、脂質異常症、高血圧、肥満など他の疾患を合併しているかもしれないという、警告もしくは前兆と考える必要ありとの報告。

院長コメント: EDの基礎には他疾患を合併している可能性があるという報告。持論では、糖尿病や動脈硬化などでEDになっている場合は論外ですが、男性ポテンシャルは日頃の大脳エロス細胞の活性度に依存していると考えています。写真はティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 1485-1576年)の官能的で挑発的な「ウルビーノのヴィーナス」(1583年)。

# 星のきらめく天空の彼方


師走恒例のベートーヴェンの第9交響曲「合唱」、今年はドイツの名指揮者シューリヒト(Carl Schuricht, 1880-1967年)とパリ音楽院管による演奏に注目。その演奏スタイルは、基本的にテンポが速く、響きは明るく生命力に満ち、表情は淡々として淀みないのが特徴。シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た人で、日本でも根強い人気を誇っています。

院長コメント: シューリヒトによるベートーヴェン交響曲全集はフランスの名門パリ音楽院管弦楽団を指揮したもの(英EMI,1957-58年録音)。唯一、第9交響曲だけがステレオ録音で残されています。それはフルトヴェングラーのディオニュソス的演奏とは対極にあるアポロ的演奏。第4楽章後半、人類は地にひれ伏して星空の彼方にいます父なる主を仰ぎます。シューリヒトの指揮はベートーヴェンが想像したとおりの美しさを表現していると某音楽評論家も絶賛。

# ノルウェーの国民的画家
 

ノルウェーの国民的画家ムンク(Edvard Munch, 1863-1944年)が12月12日誕生。「叫び」の作者として有名。ムンク5歳時に母が結核で死去、さらに15歳時には姉も結核で死去。身近に死を実感したことがムンクの芸術に生涯影響を与え続けます。自己の個人的体験に基づく「愛」「死」「不安」を芸術表現に昇華し、世紀末の人々の孤独や不安を表現したことがムンクが高く評価される所以とされています。

院長コメント: 有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがありますが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦末の1944年。ムンクは気に入った作品は売らずに手元に残しており、死後遺言により全作品はオスロ市へ寄贈。ムンクの代表作の多くはオスロ市立ムンク美術館蔵というわけです。


 

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