UETA Gynecology Clinic
ホーム 医院のご案内 副院長のメッセージ 外来のご案内 アクセス リンク
ブログ
ブログ 産婦人科

PROFILE
POWERED BY
    POWERED BY
    ぶろぐん
    SKIN BY
    ゲットネット...¥
OTHERS

# 雨が下しる五月哉(さつきかな)
 

天正10年(1582年)、羽柴秀吉の毛利征伐支援を織田信長から命じられた明智光秀(1528-1582年)が出陣途上の6月2日(西暦6月21日)、主君信長を本能寺で自害に追い込んだいわゆる「本能寺の変」が起きます。「本能寺の変」に先立ち、京都愛宕神社で連歌会が開催された時、光秀が詠んだ歌が「時は今 雨が下しる 五月哉(さつきかな)」。この句を土岐は今 天が下知る 五月哉とかけている、すなわち土岐家出身の光秀が天下に号令するという意味合いに解釈する説があります。写真は1579年、光秀が丹波国を平定後に築城した福知山城(京都府)。

副院長コメント: 光秀は謀反人の汚名を歴史上残したわけですが、変の背景が曖昧であり、光秀の心情を斟酌する人も少なくないといわれています。光秀の真情を知る由もありませんが、五月の雨の夜、静けさの中に予感を感じさせる歌です。変後の顛末はよく知られていますが、ローマ帝国関連の書で知られるイタリア在住の塩野七生(しおのななみ)女史によれば、変を知って山崎の合戦で光秀を討つまでの秀吉の行動はまさに迅速で、頭で考えて行動した結果とは思えない。それは心底惚れ込んでいた信長を殺した者を殺しかえすこと、その激情だけが秀吉を動かしていたのではないかと言っています。「士は己(おのれ)を知る者のために死す」の言葉が添えてありました。

# 健康戦略~やせすぎ女性に警鐘
 

健康寿命を支援する政府の「新健康フロンティア戦略」がこの度まとまりました。新戦略は糖尿病対策を含むメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)対策やうつ対策、若い女性のやせすぎ志向への警鐘などを柱に据えています。特に10代の女性で、やせすぎなのにダイエットを試みる人が目立つため、健康への悪影響を積極的に知らせるほか、高血糖状態や動脈硬化が続くと発症しやすい糖尿病やメタボリック・シンドロームを初期段階で止めるのが効果的だと考えているようです。

副院長コメント: 医療費削減を主眼としたお役所的健康戦略の大綱ですが、戦後の食事事情やライフスタイルの変化に伴い、病気の欧米化が避けられないことは前に述べました。今や日本人の3人に1人は高血圧、6人に1人は糖尿病あるいは予備群といわれています。それでも女性は長寿世界一(男性は2位)!!女性のダイエットですが、先般イタリアのモデル業界でも痩せすぎモデルにクレームがついていました。外人は骨格自体が日本人と違い、肩から胸、そして腰のあたりはがっちりしています。日本人が痩せ志向を目指した場合、その身体のシルエットは益々貧弱となり、両脚そろえた間隙から向こうの景色が見えてしまう興醒めな事態となりますので要注意。写真はムンクとピカソ画。

# 五月雨をあつめて早し最上川
 

俳聖と謳われた松尾芭蕉は、1644年に生まれ元禄7年(1694年)10月12日(新暦11月28日)没しています。享年50。1689年から91年まで陸奥(みちのく)を旅し「奥の細道」や歴史に残る俳句を残しました。元禄12年5月29日(新暦7月15日)、現在の山形県大石田町泊。そこで作られた句が「五月雨をあつめて早し最上川」。五月雨といっても新暦の7月半ば、まだ梅雨が明けていない時期で、最上川は濁流の観を呈していたとのことです。この句により山形の母なる川、最上川は日本三大急流のひとつとして全国版となったといわれています。芭蕉句碑が山形県大石田町にあり「五月雨をあつめてすずし最上川」となっていますが、「奥の細道」編集時、「すずし」を「早し」に改変したことで人口に膾炙する名句となりました。芭蕉が投宿したあたりの風景を、以後文人が好んで訪れています。「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも」(斉藤茂吉)、「ずんずんと夏を流すや最上川」(正岡子規)。

副院長コメント: 学会出張のほとんどは大都市圏が多く、東北では仙台、盛岡以外の街を知りませんが、最上川が流れる山形は以前より訪ねてみたい土地のひとつです。食べ物については知りませんが、山形のお酒の美味しさは昔から知っています。

# ゴンドラの唄第32章: 嘆きの天使 ”The Blue Angel"
  

映画「嘆きの天使」の監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ(Josef von Sternberg, 1894-1969年)が5月29日ウィーンに生まれています。主な活躍の舞台はアメリカですが、ドイツ映画界初のトーキー映画「嘆きの天使」(1930年)は強烈でした。世間知らずの真面目な高校教師が、ディートリッヒ(Marlene Dietrich, 1901-1992年)扮するキャバレーのダンサーの色香に惑い日参しますが、学校を追われ、旅興行の道化役者となり、最後は捨てられた死体が高校の教室に転がるという哀しい物語です。退廃的美貌と脚線美の新人女優ディートリッヒが世界にブレイクした記念すべき作品です。スタンバーグは「モロッコ」(1930年)でハリウッド・デビューし、ディートリッヒとのコンビの名声を確立しました。第2次大戦中、彼女がカバーした「リリー・マルレーン(Lili Marlene)」は、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流されましたが、多くのドイツ兵が戦場で耳を傾け故郷を懐かしみ、涙を流したといわれています。ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じています。

副院長コメント: ディートリッヒの魅力については熟知しているとは言えませんが、「嘆きの天使」の教師役は悲惨です。何事も硬い木は折れやすいというところでしょうか。大火傷を負わないためにも男性諸氏には適度に遊ぶことをお薦めします。 
# ドイツ演歌の帝王
 

不世出のドイツのバリトン歌手、フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年-)が5月28日ベルリンに生まれています。学生時代、ご多分にもれずシューベルトの歌曲小品で彼の歌唱を知りました。それは「セレナード」と「野ばら」です。ドイツ語特有の歯切れの良さと、抜群に上手いとしかいいようのない歌唱。一度、東京でのリサイタルを楽しんでいます。レコード史上初の快挙「ニーベルングの指環」全曲録音が、1958年から65年にかけてウィーンで行われましたが、その製作過程の一部をドキュメンタリー・フィルムに収めたものが“Work Shop ~The Golden Ring”(1965年、英BBC制作)です。邦題は「ショルティの指環」として放映されています。そのフィルムの中で、仕事が終えた夜、ウィーンのカフェーでニルソンはじめスタッフが集まり歓談している時、フィッシャー=ディースカウは煙草ぷかぷか。あの強靭な声帯は、ニコチンやタールに侵されることはなかったようです。

副院長コメント: 10年以上前の話です。ヒマラヤ山麓に100歳人間ごろごろの長寿村がありました。食事は、肉類はほとんど摂取せず菜食中心と山羊の乳。おまけにお爺さんたちはみんな煙草ぷかぷか。しかし、近くに高速道路が開通して以来、癌その他の病気が発生し長寿村は衰退の一途をたどったとのことです。参考までに。


 

Copyright (C) 2005  UETA GYNECOLOGY CLINIC All Rights Reserved.