2007-04-30 : 00:01 : ueta-fukuda
# 金と銀

4月30日、オーストリアの作曲家レハール(Franz Lehar, 1870 - 1948年)が誕生しています。星の数ほどあるウィンナワルツの中でも、夢見るような美しい旋律をもつ「金と銀」の作曲者として知られていますが、1905年のオペレッタ「メリー・ウィドウ」で一躍人気作家となっています。東欧植民ドイツ人の家に生まれ、ハンガリーやチェコに長く住み、晩年はベルリンを拠点にしたレハールの音楽は国際性豊かです。私も東京在住中、1979年と1985年にウィーン・フォルクスオパー来日公演を楽しんでいます。特にメリー・ウィドウ・ワルツにのせて歌われる「愛の二重唱」は甘美という形容がふさわしい出来栄えでした。
副院長コメント: ヒトラーの好きな作品が「メリー・ウィドウ」だったとは意外な事実で、つい最近まで知りませんでした。レハールは第三帝国時代に夫人の件で恩恵を受けており、戦後ナチス協力者の烙印が押されレハール晩年の悲劇が起こります。2004年NHKで特集番組が放映されたとのことですが、残念ながら私は見ていません。しかし「メリー・ウィドウ」や「金と銀」は、今もなお世界中で演奏され、世界中の人々から愛されています。写真は数ある「金と銀」のディスクの中でも名演の誉れ高いケンペ(Rudolf Kempe, 1910-1976年)指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団のLPジャケット。ドレスデンの楽団創立425年を記念して制作されたものです(Eurodisc、1972-73年録音)。そしてフォルクスオパー来日公演でウィーンからの歌の花束を届けてくれたプリマドンナ、ミルヤーナ・イーロッシュ。
2007-04-29 : 00:01 : ueta-fukuda

ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli, 1899-1970年)は、1943年に英マンチェスターのハレ管弦楽団の首席指揮者に招かれ、以後四半世紀にわたり音楽人生をともにしています。1953年、ロイヤル・アルバート・ホールにおけるプロムナード・コンサート(the Proms)に初登場。以来ロンドン夏の風物詩の常連となったハレ管弦楽団のプロムスにおける恒例の呼び物が「バルビローリのウィーンの夕べ」だったそうです。伊・仏の血筋で生粋のロンドンっ子であるバルビローリは、ウィーン生まれの指揮者よりもウィーン風にワルツを演奏したとされています。そういう意味からも、レハールの名曲「金と銀」をこれ以上はないぐらい楽しく演奏したのがバルビローリではないでしょうか。英BBCから2000年にリリースされた1969年8月9日、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音では、最後に「金と銀」が演奏され、場内の大喝采を受けたバルビローリのスピーチを聞くことができます。
副院長コメント: 酒とクリケットと音楽、そして人生を愛した(女性も!?)バルビローリのウィンナ・ワルツの演奏が悪かろうはずがないと誰かもいっています。バルビローリのウィンナ・ワルツのディスクは全部で3枚あります。バルビローリ協会からリリースされたCDは、ステレオ初期の録音で音質に難点ありですが楽しめる演奏です(PYEレコード、1956年録音)。一方、英EMI盤ではR.シュトラウスの「バラの騎士」組曲が御機嫌です(1966年録音)。レハールについては明日紹介します。
2007-04-28 : 00:01 : ueta-fukuda
半月ほど前にNHK新日曜美術館でデザイナー芦田淳氏とピカソについての番組がありましたが、これまた大変興味深い内容でした。天才ピカソの創作に影響を与えた「七人の侍」ならぬ「七人の美女」については以前紹介しています。青の時代、ローズの時代から一変して「アヴィニョンの娘たち」を描いたピカソはやがてキュビズムへの道を進みます。芦田氏は「アヴィニョンの娘たち」(1907年作)の画に女性の嫌味(いやみ)な面、即ち女性というのは平坦ではなくて凄く複雑で凄く怖いものがある、そういう一面を描いたのではないかと言います。また「泣く女」(1937年作)のモデルは写真家ドラ・マール。芦田氏はヒステリックな叫びが聞こえてくるようなこの画から、男性からみたら「たまんねえな」という女性の部分を描出しているとも言っています。70歳を過ぎてからのピカソは、古典との対話を繰り返しながら、過去の名画をピカソ自身の名画に変えていきました。ピカソは誰よりも伝統をしっかりと身につけた革命家であると番組は締めくくっています。
副院長コメント: パリ・ピカソ美術館にピカソの愛人達を集めた一室があります。粒揃いの「七人の美女」。何十人もの美女を知っている男性諸氏もいるでしょうが、ピカソのそれは少々違います。女性関係の変遷の中、画法の樹立と崩壊をくり返すピカソ。その結果として後世の人々の心を揺さぶる数多くの傑作を残しました。ここが凡人との決定的違いです。写真上ピカソ14歳時の作品「初聖体拝領」(バルセロナ・ピカソ美術館蔵)、ピカソ20歳時の作品「コートを着た自画像」、青の時代の幕開けです。そして「アヴィニョンの娘たち」(ニューヨーク近代美術館蔵)。
2007-04-27 : 00:01 : ueta-fukuda
# 福田平八郎展
数週間前になりますか、NHK新日曜美術館に「国家の品格」の著者、藤原正彦氏(1943年-、お茶の水女子大教授)が登場。日本画家・福田平八郎(1892-1974年)について大いに語るという興味深い番組でした。「新雪」、「雨」、「漣(さざなみ)」など自然の一部の描写から全体を類推させる技法は、丁度俳句に似ていると言います。また音楽は短歌、画は俳句という表現は大変面白いと思います。俳句というのは短い言葉で全体を類推させる技法で、情緒や「もののあわれ」を文学の本質とする日本人だからこそ発展し、今日までその伝統が受け継がれています。それは数学も同じ理論で、日本人は数学が得意なはずと氏は言いますが今はどうでしょうか。
副院長コメント: 福田平八郎は九州大分市の生まれで、京都を中心に活躍した画家です。鋭い観察眼を基に、自然がもつ雰囲気や美しさを描出したことで評価されていますが、今年4月から6月にかけて京都国立近代美術館で展覧会が開催されています。写真上から「鮎」、「花の習作」、「新雪」、「雨」、そして「漣」。「漣」は昭和天皇と釣に行った時、池面に映る水面(みなも)の模様を描写したものといわれています。
2007-04-26 : 00:01 : ueta-fukuda
# 春とライン河

春から初夏にかけての季節には、やはりロマン派シューマンのシンフォニーを聴きたくなります。それは交響曲第1番「春」と第3番「ライン」。「春」は私にとってあまり馴染みがない曲に属していましたが、久々フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー(英デッカ、1951年ライヴ)を聴きなおしてみて認識を新たにしました。多少重いながらもシューマンのロマンの奔流がほとばしり、匂いたつ春の香がそこにはあります。また第3番の「ライン河の朝」といわれる第2楽章はライン地方の民謡からとられた旋律でゆったりとしたラインの流れを彷彿とさせます。この曲を初めて知ったのは先日紹介しましたコンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のディスクです。コンヴィチュニーは1949年から1962年ベオグラードで客死するまでゲバントハウスの主席指揮者の地位にありました。
副院長コメント: 交響曲第3番は誉高いシューリヒト指揮パリ音楽院管弦楽団(英デッカ、1953年録音)、それと風土的空気感を漂わせるコンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団(ベルリン・クラッシクス、1960年録音)の演奏で楽しんでいます。コンヴィチュニーは現代風ではありませんが職人的気質の典型的なドイツの“楽長”としての評価があります。またライプツィヒ・ゲバントハウスは現存する最古のオケで1743年の創立。メンデルスゾーンはバッハの「マタイ受難曲」を甦らせ、シューマンは自分が発見したシューベルトの第9交響曲を初演しています。そのいぶし銀ともいえる重厚なサウンドは、コンヴィチュニー指揮下シューマンとベートーヴェンの交響曲全集を完成させており貴重な財産です。なおシューマンの交響曲第4番はフルトヴェングラーによるスタジオ録音最高の名演があります(独グラモフォン、1953年録音)。
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